デザイン思考の限界がいろいろなところで言われ始めている。
ここではこんな指摘がされている。
「プロのデザイナーは通常、5つ目のプロトタイプをテストする前に、自らの案を分析・批評する『crit』というステップを踏むはずです。批評なしに提案の有効性を判断できないからです。批評と改良を繰り返すことで、良いデザインは生まれます。現在のデザインシンキングには、それがまるごと抜けていると思います」。
デザイナーは、使ってもらって判断するという早急なプロトタイプ→テストのプロセスに違和感を持つ。これはスペキュラティブ・デザインなどを考えればより一層、わかりやすくなるのではないかと思う。
スペキュラティブデザインとは、問題を解決するのではなく、むしろ問題を提起するデザインである。スペキュラティブとは思索的、思弁的という意味で、我々に問いを投げかけるようなデザインを目指すものである。
ここでいう批評は、スペキュラティブデザインにあるような「このように問題を解決してしまってもいいのだろうか」という根源的な問いを含んでいる。
不便益という考え方も、関連するかもしれない。あえて不便さをデザインすることによって生活を豊かにするという考え方にある批評性が、デザイン思考の標準的なプロセスからは抜け落ちている。
ほかにも、デザイン思考はPDCAサイクルを模したものであり、それでは新しいものを生み出せないのではないかという指摘もよくされる。
IDEOはPを作ることを「0→1」と呼び、その手法としてオブザーベーションなどの方法を紹介しています。例えば、キッチンでの人の行動を逐一観察して、無意識的に困っているところが見えたらそこがインサイトで、その解決策が思い浮かんだらそれが「0→1」の仮説だと。しかし、冷静に考えればすでに「不便なキッチン」があるわけですから、それは「0→1」ではなく「改善」というのではないでしょうか。
僕自身、こうしたデザイン思考の限界を超えるものとして、アート思考が必要になるという見立てをしている。これについては、継続的に考えてみたいと思う。